平成28年12月 経過報告

○神社新報社設立70周年記念『東日本大震災 神社・祭り―被災の記録と復興―』に寄稿しました。
 震災から5年間の活動記録をまとめました。
 震災の教訓を後世に活かすため、ここに記します。


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平成27年11月 経過報告

○日本政策研究センター『明日への選択』(平成27年11月号)に寄稿しました。

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平成27年11月2日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成27年11月2日発行)に寄稿しました。

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平成27年7月27日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成27年7月27日発行)に寄稿しました。

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平成27年4月20日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成27年4月20日発行)に寄稿しました。

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平成27年1月12日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成27年1月12日発行)に寄稿しました。

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 平成26年9月29日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成26年9月29日発行)に寄稿しました。

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平成26年6月23日 経過報告

○神社新報『こもれび』(平成26年6月23日発行)に寄稿しました。

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平成26年5月 経過報告

○東京都神社庁会報『東神』5月号に寄稿しました。

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平成25年12月 経過報告(震災より1000日)

○『明日への選択』12月号(日本政策研究センター発行)に寄稿しました。 

森の長城プロジェクトと心の復興

〜未来の子孫へ、私たちは何を残すべきか〜

 

公益財団法人瓦礫を活かす森の長城プロジェクト事務局

瀬田玉川神社禰宜 高橋知明

 東日本大震災からの復興は、狄瓦良興瓩砲靴覆韻譴个覆蕕覆ぁF本人の豊かな心こそが、世界の人々に向けて、自然との共生・人間同士の協調や助け合いがいかに大切かということを発信するものだと、私は考えています。

 私が従事する「森の長城プロジェクト」は被災地の人々の大切な思い出と財産であった瓦礫を、土と混ぜながら海岸線に盛土をし、その上に地元植生の広葉樹を混植・密植し、次の大津波に対してその勢いを和らげ、かつ多くの財産と命を海にさらわれない壮大な森の防潮堤や一時避難場所となる命山と呼ばれるような丘をつくる計画です。その概要は、平成二十四年十月号の『明日への選択』で述べさせて戴きましたが、その後の被災地の様子はどうか――。

 震災直後、東北の人々は、難局を乗り越えるために老若男女にかかわらず、各々ができることを最大限に考え、助け合い、世界の人々から称賛されるほどの行動をしました。東北だけでなく、全国で節電や様々な緊急支援などに協力したのは、災害大国・日本に生きる国民の、有事における覚悟ある自然発生的行動だと感じました。

 しかしながら、人間は忘れ易く、欲深い動物でもあります。震災の教訓から、助け合いや感謝の精神がより向上する多くの人々がいる一方、物資支援を受けたり、日常の生活を徐々に取り戻す中で、悪い意味で本性が出ると言いますか、あの難局を共にした同士とは思えない行動・言動をする人も出てきたことは、残念に感じます。

 被災地では、依然として十四万人を超える人々が避難生活を送っています。そして、生活再建が最優先課題であり、一部住宅高台移転の大規模造成が始まっていますが、その造成に数年かかり、仮設住宅暮らしの人々は高齢者も多いため、その時になって家を建設するかどうかは判断が分かれるところです。

 多くの住民の注目が生活再建に集中する一方、土地利用計画は着々と進んでいます。半壊した大きな建物も解体され更地となり、所々に仕分けされた瓦礫の山々が点在し、道路や海岸線工事のための用地買収が進み、湾を囲むような最大で高さ十六メートルものコンクリート防潮堤建設事業や水門工事などが、住民の関心や希望が追い付かないところで進んでいます。

 津波の教訓を活かした街づくりとは、どのようなものか――。様々な考え方があろうかとは思いますが、何かあったら高台へ避難することしかないのであり、その土地ごとの地形変遷の歴史を検証した上で、高台への幅広い避難道の造成をすること、高台が遠い場所には、命山と呼ばれる一時避難場所となるような丘(例:宮城県岩沼市「千年希望の丘」創造事業)を築いたり、津波避難シェルターを築くといったこと以外は、できるだけ自然環境を活かした街づくりをすることが肝要かと思います。

 特に東北沿岸地域は、高齢者も多く過疎化が進み、今後人口減少も加速することが予想される中、復興交付金による巨大コンクリート防潮堤の建設や、大規模高台造成などの計画は、特定の人々が一時的に利益を得られる反面、将来その構造物等の維持を任せる私たちの子孫に、多くの負担を強いる可能性があります。東北沿岸の最大の魅力は、都会にはない美しい自然と温かい地域社会、そして美味しい海山川の幸です。この生活環境が豊かな心を持った人々を育てるだけでなく、観光面においても、未来へ残すべき遺産です。

 古来より日本人は、自然に対する畏敬の念を持ち、自然との共生を大切にしてきました。我々の生活に大きな恵みをもたらす自然は、それを冒しすぎるといずれ自分たちに大きなしっぺ返しをすることを、長い生活の経験と知恵から体得してきました。

 森林で言えば、人間が生活する上で最低限必要な材料を得るための区域を里山といい、薪用の柴刈りや農地に必要な肥料を得たりする生活循環する区域でした。里山に対して、人間が冒してはならない山を神々が宿る奥山といい、森林の機能としては、国土を保全し水源を涵養する他、鳥獣の生息環境を維持する山でした。しばしば里山と奥山の境界には、山の神々を祀る神社や祠がありました。

 しかし、現在は国土の六六%が森林と言われますが、そのほとんどが人間の手が加えられた森であり、神社の鎮守の森など我が国古来の照葉樹の森は、わずか〇・〇六%しかないそうです。里山と奥山の境界なく、森を冒した後に植えられた木は、杉・松・檜であり、昭和後期までは売れて循環する木でした。現在では成木したものの採算の都合で伐り出されず、間伐や下草刈りなど手入れも施されない森が増え、花粉症や松喰い虫被害、実のなる木の減少などから野生動物が里に下り、人間生活を冒す被害が発生するなどの社会問題になっています。しかし、災害とは人間にとってのものであり、自然にとっては浄化作用でもあります。急に自然と密着した生活はできませんが、できることから始めることが大切です。

 森の長城プロジェクトは、東日本大震災を契機として、自然環境に寄与し、津波を減殺するための猝燭鮗蕕訖垢遼苗堤瓩鮹曚海Δ函被災地沿岸で広葉樹の植樹活動を始めました。本年は宮城県仙台市若林区荒浜、同県岩沼市・千年希望の丘創造事業、同市岩沼海岸植樹式(国土交通省主催)、福島県南相馬市で計四回の植樹祭を行い、延べ約六万本の植樹に、約八千五百人が参加しました。植樹に必要な苗木や資材、植樹祭運営費のほとんどを、多くの皆様からのご寄付で賄っています。この活動をさらに拡大できるよう国・県・自治体に対して、植樹地の確保のための折衝も行っていますので、地元住民の皆様の要請も戴きたいところです。

 植樹祭の参加者は、なぜか笑顔になって帰られます。きっと植樹という命を育む活動に触れることで、童心に返り心が穏やかになるのだと思います。子供からお年寄りまで多くの人々が、どんぐり拾い・育苗・植樹・草取りという育樹活動に参加することで、自然と上手に共生してきた日本人の心の復興にも繋がる事業になれば、と願っています。

 このプロジェクトは、地球規模の環境問題を抱える現代において、東日本大震災を経験した我が国が、森づくりによって自然環境に寄与するだけでなく、津波からの減災を図るという、世界に範を示す国民一体でできる復興活動です。私たちの子孫へ思いを至し、麗しい自然環境のある豊かな郷土を残せるよう、このプロジェクトをぜひ応援して下さい。

※森の長城プロジェクト→http://greatforestwall.com/


 平成24年11月 経過報告

○今泉天満宮の再建を支援する会のホームページとチラシを作成しました。ご支援ご協力をお願い致します!!


 去る10月10日に今泉天満宮の再建を支援する会第2回役員会が開かれ(於 森の長城プロジェクト事務所)、ホームページ
とチラシの開設について協議しました。その後、推敲を重ね、この度開設致しましたので、ご報告致します。
 再建にはたくさんの費用がかかりますが、神社を再建し、街の皆さんが、もう一度街を復興する気運を盛り上げて戴くべく、
我々は支援して参りたいと思いますので、皆様のご協力をお願い致します。
 また、チラシ頒布にご協力戴ける方は、チラシをお送り致します(なるべく10枚単位)ので、ご連絡下さい。
 ホームページアドレスは、http://imaizumitenmangu-sien.net/  です。
 完成イメージ 山へ避難できる防災拠点を兼ねた設計


平成24年10月 経過報告

○日本政策研究センター『明日への選択』10月号に寄稿しました。

被災地の海岸線に壮大な「鎮守の森」をつくろう

東日本大震災から一年半 ガレキを活かす「森の長城プロジェクト」がスタート

減災という視点から復興を考える

高橋知明

(一般財団法人「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」事務局、瀬田玉川神社禰宜)

 

 東日本大震災より一年半が経ち、被災地では依然として多くの瓦礫が山となり、解体されぬままの大きな建物が多く残る。被災地の人々には先の見えない生活に無常感が漂い始め、無気力にさえ感じられる。東京では震災の話題はあまり聞かれなくなり、大地震で大都会が麻痺した記憶も、いつしか忘れ去られようとしている――。

 そうした中、今新たなプロジェクトが始まった。被災地の人々の大切な思い出と財産であった瓦礫――。この瓦礫を土と混ぜながら海岸線にほっこらとした盛土をし、その上に地元植生のタブ・シイ・カシ類の広葉樹を混植・密植し、次の大津波に対してその勢いを和らげ、かつ多くの財産と命を海にさらわれない壮大な森の防潮堤をつくる計画、「ガレキを活かす森の長城プロジェクト」である。

 このプロジェクトは、震災後、当財団副理事長の宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)が瓦礫を活かした広葉樹の混植・密植による森の防潮堤作りを訴えてきたところに、当財団理事長の細川護熙(元首相)がその活動に共感し、両氏が連携して財団法人(七月設立)として取り組むことにしたことに端を発する。

 震災当時、私は全国約八万社を包括する神社本庁の職員であり、岩手県陸前高田市の出身であることもあり、発災直後から太平洋沿岸の神社や地域の被害状況の調査や応急物資の運搬などの活動を東京と行き来しながら進めてきた。また、街の復興なくして神社の復興もないため、日本政策研究センターの伊藤哲夫代表らとともに、漁業・農業など産業の現状と復興への方策を探るべく、被災地に同行し情報交換をしてきた。このプロジェクトを知ったのは震災から一年を過ぎた後だが、日々被災地の復興のことが頭から離れなかったこともあり、それを専門に取り組むべく七月の財団設立から事務局の一員となり今に至る。

 この森の長城(防潮堤)は、青森県から福島県の沿岸に南北三百キロメートルに亘って、幅五十〜百メートル、高さ十メートル前後の盛土をし、地元植生の広葉樹を植樹するものである。この取り組みの最初の一歩として、林野庁の進める「みどりのきずな再生プロジェクト」との連携がある。林野庁は東日本沿岸に約百四十キロメートルに亘り国有林(主に松林)を所有しているが、今回の津波でほとんどが被災したため、本年度予算でそのうち五十キロメートルを復旧し、海岸側に松林を再生させ、その後方に瓦礫を活かした盛土を築く。そして、その盛土に地元植生の広葉樹を植樹することは民間団体から公募するので、当財団はこれに応募し植樹活動を進めたいと考えている。広葉樹は約二十年で二十〜二十五メートルの高さに育つと言われ、また埋めた瓦礫を木の根が包みながら深く根を張ることにより防潮堤の強度が増す仕組みである。

 被災地では、例えば線路と国道が立体交差する道路のためにつくった単なる盛土があっただけでも、その原型をかなり留めているところがある。岩手県大船渡市末崎町細浦地区のJR大船渡線の盛土などは、敷設された線路は流されたもののビクともしていない。今回はそのような盛土にさらに根の深く張る地元植生の広葉樹を植えて防潮堤にするのである。

 宮城県多賀城市にあるイオン多賀城店は、震災前より店舗の周囲に宮脇方式の植樹をしていた。もちろんこれは津波を想定して植えられたものではなく、環境への配慮で植えられた幅三メートル程度の森であった。今回の津波では平地に植えられていたため、樹木の頭を隠すくらいまでに津波が押し寄せたが、押し波でも引き波でも木々は倒れることなく、そこに多くの車や家財などが引っ掛かったという強度を示す事例がある。

 また、千葉県浦安市では、地震による液状化現象で大量に発生した噴出土を土壌改良し、津波に備えて海沿いに宮脇指導のもと森の防潮堤作りを市の取り組みとして既に始めている。今回の津波で特に地盤地下など被害が大きかった場所は、もともと海だった場所の埋め立て地や、長い年月を経て川から流れきた土砂が堆積した土地だったりする。まるで今の被災地の風景は何百年前か昔の地形が現れたような感覚さえある。人間の営みは、時には大自然との闘いの場面でもあるが、浦安市の取り組みは、自然との共生を目指し自然の森を作り出すことで減災に努めるという視点から興味深い提案である。

 被災地を何度も行き来しながら、間近にあの巨大津波を経験した多くの人々のお話を伺うと、「自然にはかなわない」「自分たちの生活が贅沢すぎたのではないか」「やられる時はやられるのだから仕方ない」などとの声が聞かれるが、海、そして自然を恨む人はいない。人間の営みに百パーセントはあり得ないことであり、森の防潮堤も完全な免災はできないかもしれないが、押し寄せる大津波の勢いを和らげ、また引き波でも倒れない木々に多くの財産が引っ掛かる。大津波に際し、山肌の木にかろうじて捕まり一命を取り留めた方もいれば、木に多くのご遺体が引っ掛かったことで「ご遺体が見つかっただけでも有難い」と話すご遺族もいる。

 この森の長城プロジェクトは、未曽有の大震災を経験した我々が、次世代を担う子供たちを守るために残し伝えなくてはならない知恵である。自然の力を持って自然の猛威を和らげる。また、豊かな森は多くのミネラルを海に注ぎ、漁業や養殖業が盛んな太平洋沿岸の海を一層豊かにするであろう。

 宮脇によると、土地本来の森を守り続けてきたのは神社の「鎮守の森」だという。このプロジェクトは、その「鎮守の森」の重要性を模範として、被災地の海岸線に壮大な「鎮守の森」を作るものである。しかし、このプロジェクトは、そこで生活していく地元の人々のニーズがなければ実現しない。このプロジェクトに対して、地元の人々をはじめ多くの国民の皆様にご賛同ご協力を戴き、世界に範を示すような活動となり、太平洋沿岸地域の美しい街並や産業の復興ができればと切に願うものである。

※森の長城プロジェクトURLはこちら→http://greatforestwall.com/


 



平成24年6月 経過報告

○今泉天満宮の再建を支援する会が発足しました!
この度、実家の父が兼務する神社の今泉天満宮(岩手県陸前高田市気仙町中井1、津波で完全流失)の再建を支援するため、各界の有志の方々が、「今泉天満宮の再建を支援する会」を発足しました(
設立総会 平成24年6月21日 渋谷区代々木・日本文化興隆財団にて)。
今後は、来月中にホームページを立ち上げ、募金活動を展開致します。
目標額は1億5千万円です。
大変な金額ですが、歴史ある伊達家の代官屋敷のあった今泉の街を再興するため、また地元の人達にその気概と誇りを持ち続けてもらうため、またその象徴の一つである神社を再建するため、皆様のお力添えをお願い致します。

役員構成は次の通り、
顧問兼監事  眞崎 達二朗    眞崎リスクマネジメント研究所代表
会 長      池上 信夫     螢ぅ吋ミ代表取締役会長
副会長      高原 彦二郎    コンサルビューション蠡緝充萃役社長
理 事      青木 雄一     「にじのらいぶらりー」支援者
理 事      熊木 慶忠     蠏木歯車鉄工所取締役会長(剣豪・千葉周作のご子孫) 
理 事      倉島 正三     蟲彿撞搬緝充萃役社長(静岡県周智郡森町)
理 事      小西 一之     北辰一刀流・玄武館館長
理 事      島田  薫     荏原商事蠡緝充萃役社長
理 事      武田 一美     日本出版クラブ専務理事
理 事      針木 陽介     針木事務所代表
理 事      宮越 則和     螢好據璽校羃渋緝充萃役
事務局      盒供|量          神社本庁録事・瀬田玉川神社禰宜
以上です。

なじょにがせねぇば、わがんねえがら!

 


平成24年5月 経過報告

○『光に向って 〜3.11で感じた神道のこころ』という本が発刊されましたので、ご紹介です。

 この度、晶文社より『光に向って 〜3.11で感じた神道のこころ』という本が発刊されました。作者の川村一代さんは神職であり、『女性自身』の編集者でもあります。
 昨年の秋に川村さんから私に相談があり、被災地の神職やその家族が、震災後どのように振舞ったかを現地に行って取材したいので、その橋渡しをしてほしいという内容でした。
 私は実家の家族をはじめ、各所連絡を取り、川村さんに取材に行ってもらい、この度一冊の本になりました。
 「神道のこころ」というものについてお伝えできる一冊と思いますし、都会で生活する人達にもきっと役に立つものと思います。
 ご興味がありましたら、是非ご一読ください。


平成24年4月 経過報告

○日本政策研究センター『明日への選択』に原稿が掲載されましたので、ご紹介します。

『明日への選択』平成244月号「一刀論断」欄

防災拠点としての神社の役割

〜なぜ多くの神社が避難所として機能したのか〜

荒木眞幸(月山神社禰宜・今泉天満宮宮司・前陸前高田市議会議員)
 

 昨年三月十一日、我が国に脅威を与えた未曾有の東日本大震災が発生し、私の故郷・陸前高田市は、何度もメディアに登場する壊滅的なダメージを被った象徴的な場所の一つとなった。

 津波が来て間もない頃、妻は「この地域がこれほどの試練を与えられたのは、世界の人々にこの状況にあっても混乱せず、むしろ助け合って復興に向っていく姿をみせること、世界に範を示すために神様が我々を選ばれたと思っている」と言った。決して口にすることはないが、この地域の人々は、まさにそれを実践し、みな我慢して今日まで至っている。

 あれから一年が経ち、街は一面更地になり、応急堤防や国道四五号を繋ぐ気仙大橋の仮橋が整備された。しかし、依然処理を待つ瓦礫は山となっている。住民のほとんどは住居の高台移転を望み、高い堤防の構築は望んでいないが、政府は十二・五mの堤防を築き、街があった場所の一部を嵩上げし、住宅が建設できるよう整備すると聞く。中央との感覚には、こうも温度差があるものかと悔しさを痛感する日々である。

 私の自宅のある市内気仙町は南北に大きく二つの地域に分かれる。北は気仙川に面する平地の今泉地区、南は丘と平地が混在する港町の長部地区である。

 今泉地区は約五百戸の街がほぼ壊滅してしまったが、長部地区は多少高台があるため小学校等の建物が避難所となり、私が奉務する長部地区の月山神社も避難所の一つになった。

 月山神社(荒木真水宮司、筆者の父)は、今から約八百年前に出羽国飽海郡の鳥海山に鎮座する月山神社から分霊した神社である。以来荒木家が代々この神社をお守りし、地域の氏神様として信仰されてきた。

 また、今泉地区は江戸時代に伊達藩の代官所が置かれ、諏訪神社と私が兼務する今泉天満宮という二つの神社が鎮座し、三つの仏閣が存在する古い歴史ある街並であった。今泉天満宮は、津波で社殿が完全流失し、樹齢約八百年の大杉がかろうじて残る。だが、境内には、こども達のための図書館「にじのライブラリー」が日本出版クラブと三井物産の協力で昨年十一月に開館し、娘が管理人となり市民に利用されている。この今泉天満宮を再建し、人々が今泉地区再興の気概を持ち続けてもらうことが目下私の仕事である。

 さて、月山神社は、当初今泉地区の人々を中心に約二百名の避難所となった。もちろんあらゆる生活必需品の備蓄はなかったため、人々は境内で薪を割って暖を取り、冷凍庫にあった七五三で余った千歳飴をなめたり、近くの加工場にあった冷凍さんまを焼いて一時を凌いだ。みなその時の美味しかった味を忘れられないという。

 避難所に指定されると、市内高田町の第一中学校に置かれた災害対策本部との連絡拠点となる。自衛隊からの必要物資が届けられるほか、生存確認のため、そこに避難せず高台にあった自宅にいる人もそこの生存者リストに登録に来たり、物資をもらいに来る。登録しない限り行方不明者になるからである。

 東日本大震災において岩手県沿岸の多くの神社が避難所或いは避難場所となった。後からわかったことだが、大船渡市末崎町・熊野神社(宮崎和貴宮司)が約五十名、上閉伊郡大槌町・小鎚神社(松橋陸之進宮司)が約二十五名、同じく大槌稲荷神社(十王舘正一宮司)が約百名を受け入れていた。

 今回の震災で実際に多くの神社・仏閣が自ずと避難所や避難場所になったことは紛れもない事実であり、公的機関だけでなく、全国的視野にたって神社・仏閣も防災拠点の一つとして、行政は考慮せざるを得ないと考える。

 神社が防災拠点となる事のデメリットは、端的に言うと政教分離を過剰に行政が意識する事である。政治と宗教の関係において、行政がある特定の宗教に肩入れしていると少数の住民などから指摘され、揉め事が起きるのではなかろうかと行政が懸念することである。

 しかし、わが国の歴史と伝統が証明するように神社は公益性の高い存在であり、数も多い。神社本庁包括下の神社は全国に約八万社ある。神社によっては、消防団のポンプ車の倉庫や地域の公民館、防火貯水槽の設置協力など、必ずしも神社にとってメリットがあるとも限らない事でも、公共の為に協力するケースが多く存在する。

 神社が防災拠点となるメリットを今回の震災に照らして考えてみると、まず住民が初詣や秋祭りなど普段から神社にお参りしているため、隣町の公民館の場所はわからなくても、隣町の神社の場所と建物の形状は認識していることがある。神社の祭りや行事に地元住民が参加することで、自然と避難訓練が行われているということである。しかも、祭りに参加することで地域コミュニティが形成されているため緊急時に協力体制が取り易くなる。地方では地元住民同士で顔を知らない人間がいないほど地域コミュニティが形成されているが、都市では地方ほどうまくはいかないであろう。しかし、その都市においても神社の祭りに関わる神職はじめ地元住民が、災害時には地元を救済する中心メンバーとなることは容易に想像できることである。

 また、震災後、多くの地域で祭りの復興を通じて人々の気持ちを鼓舞する行事が行われたが、神社は心の拠り所であり、頼る場所が無くなった住民が頼りやすく、事実、頼る場所になった。避難所生活においては、避難者のストレスを貯めないことが大切だが、神社は他の場所に比べて、あまり気兼ねしなくていい。むろん、神社には管理者としての神職がいる。そのことが避難所において最低限の規律を遵守する機能を果たしたことも事実である。

 東日本沿岸地域は、過去にも大津波が襲来する度に大きな被害が発生している。また、我が国では地震や火山噴火、大型台風による土砂災害など、常に我々の生活には災害が隣り合わせであるが、神社は悠久の昔からその場所に存在し、人々とともに歩んできた歴史を有する。災害と隣り合わせでありながら、そこに鎮座してきた理由があるのであろう。先人から受け継がれてきたその事実を、重く受け止めなくてはならないと感じる。

 今後また起こりうる全国各地での災害に対応するため、全国の然るべき場所の防災拠点に神社・仏閣もその一つとして視野に入れた対策・体制構築を、行政は神社や仏閣とも協力して取り組むべきではなかろうか。

 全国の皆様に支えられて今日があることに感謝し、いつか素晴らしい街並を復興させ、恩返しができるよう尽力して参りたいと思う。


平成24年1月4日 経過報告

○今泉天満宮(岩手県陸前高田市気仙町字中井)の再建に向けた未来完成図が出来ました。
 
荒木真幸宮司は、津波で完全流失した今泉天満宮を同じ場所に再建するべく、日本建築工芸設計事務所の協力のもと、未来
の再建予想図を描きました。もし再び津波が襲来したとしても、それに耐えうるよう高層化し、また階段を伝って高台と行き来が
出来るよう設計しました。
 この地の氏子の希望となる事を願い、再建に向け邁進するそうです。
 


平成23年11月8日  経過報告

○今泉天満宮に子供たちのための図書館「虹のライブラリー」がオープンします。
 兼ねてより、準備を重ねて参りました図書館が、11月12日にオープンすることになりました。
 日本出版クラブからのニュースリリースを添付します。
 ニュース
 図書館の写真

○岩手県神社庁気仙支部主催「大祓い神事」について
 
11月11日に陸前高田市と大船渡市において、岩手県内の神職50名〜70名による「大祓い神事」が執り行われます。
 被災地域の祓い清めをして、新たな気持ちで神社のお札を祀り、新年を迎えられるよう岩手県の神職界が協力して
神事を行います。
 どなたでもご参列戴けるそうです。特に準備するものはありません。
 ―日程―
 。隠鰻遑隠影11時より 陸前高田市市民体育館前にて斎行
 ◆  ‘院  14時より 大船渡市大船渡町・賀茂神社にて斎行
                                                              以 上





                                                                                                                                      平成23年8月24日
 氏子崇敬者をはじめ、ご関係の皆様へ
                                                      瀬田玉川神社 高橋知明
拝啓 時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
平素よりご指導ご鞭撻を賜りますこと、厚く御礼申上げます。
 また皆様には、東日本大震災が発生して以来、たくさんのご心配ご厚情を賜りましたこと、この場を借りて併せて厚く御礼
申上げます。
 お陰様で、実家の家族は全員元気に生活をしております。
 月山神社と自宅は当初各々が避難所となりましたが、自宅は4月に神社は5月に避難所機能を解消しました。
 さて、あの震災からもうすぐ半年を迎えようとしております。

 私の故郷・岩手県陸前高田市は、現在、自衛隊による遺体捜索や瓦礫撤去等の活動が終了し、市内全域に電気・上水道
・ガス・固定電話が復旧し、震災直後とは比較にならないほど快適な生活になりつつありますが、未だ湾岸工事中等にご遺体
が泥や砂の中から見つかったり、地盤沈下の影響で雨が降れば通行できなくなる場所もあるなど、完全な復旧にはまだまだ
時間がかかりそうです。
 家を失った人々は、学校の体育館などの避難所から、仮設住宅や高台の親戚の家、もしくは内陸にある県から与えられた
アパートなどに引越しをしました。多くの市民は、家があった慣れ親しんだ集落に戻りたいものの、津波が来た場所には住み
たくない(現在、浸水地域に住居建設禁止)、かといってその集落の高台に空いてる土地もないなどという複雑な思いを持っ
ています。
 当初、市の人口は約2万4千人がおりましたが、死者・行方不明者が約2千人、市外退去もたくさんおり人口も激減しました。
 陸前高田市は、市役所をはじめ、街のあらゆる機能が平地に集中していたため、隣の大船渡市や気仙沼市と較べ、復興に
は多くの時間がかかるものと思います。現在は、仮庁舎の市役所が高台に置かれたり、病院が2ヶ所で開かれたり、コンビニ
やスーパー、床屋・書店などの個人商店が少しづつ再開したりしてきておりますが、高台の少ない場所を求めての再開のため、
なかなか前には進まない現状のようです。

 しかしながら、街の復興に向けて、地元の人々の意気込みは勢いがあります。
 5月に山谷えり子参議院議員らご関係の皆様を私の実家にご案内した際、戸羽市長と約4時間会談しましたが、その際戸羽
市長は、「今まで以上の街づくりを目指して邁進する。そのために様々な方々のご意見やご支援を戴きたい。街の復興図が
描けるまでは決してあせることはしない。世界の人々に誇れるよう、市を立派に復興して見せるのが、犠牲となった方々へで
きる私の唯一の仕事である。」と語っておりました。市長の奥様も津波の犠牲となられました。
 6月に全国展開する居酒屋チェーン「ワタミ」の渡辺美樹会長を参与に迎えたり、8月に副市長に内閣府参事官補佐の
久保田崇さんが就任したり、着々と復興への準備は進められております。
 七夕祭りの復興や、プレハブの個人商店の再開、青空市場の定期開催など住民も前に進もうとしています。(地元の情報
は地元新聞社の東海新報社のホームページに詳しいです。)

  また、多くの方からの問い合わせが多いところの、完全流失した兼務社の今泉天満宮(旧社名北野神社、陸前高田市気仙
町字中井)についてですが、この神社は、樹齢約800年の大杉のみが境内になんとか残ったところで、時折メディアにも取り
上げられております。
 今この境内地に日本出版クラブと三井物産が協力して、仮設の図書館兼児童館を建設することになりました。陸前高田市は
図書館も浸水し、また教育委員会は教育長や教育次長も犠牲になったこともり、その分野が思うように機能しておりませんでし
た。そのところにある方の紹介で日本出版クラブの方との出会いがあり、それがきっかけで、子供たちを始め市民で大杉を
見守りながら、そして神社と街の復興を見守る施設となればという話に発展しました。ご協力いただいている方々に本当に
感謝しております。
 また、今泉天満宮の大杉を守るために、京都の平野神社の尾崎宮司さんや日本橋高島屋や玉川高島屋の屋上庭園を手が
けた株式会社イケガミの池上さんたち造園業のグループがボランティアで活動してくれています。
 大杉は塩害等のため、だいぶ葉も茶色くなり、元気もない様子ですが、一部新芽が吹き出すなど希望も見え、何とか生きて
もらおうと様々な方々が活動してくれています。

 また、8月22、23日には陸前高田市と隣の住田町の6会場(実家も会場の一つ)で、国際理容美容専門学校の生徒と関係者
26名が、女性限定のエステをサービスしてくれました。参加者は両日で350名を超え、生徒さんたちの献身的な活動に、多くの
人たちに笑顔がこぼれたそうです。これもある人の紹介で実現しました。本当に感謝しております。
 そして、何よりもこれからの街づくりには、雇用がなければいくら市民が戻ってきたくても戻ることができません。現在は様々な
方々にお知恵をお借りしながら、多くの雇用が生まれるような街づくりをするために、微力ながら活動しております。

 この震災は、我が国にとっての大きな試練ではありますが、大きな転換期でもあるとも感じております。この震災がなくこのまま
進んで行っていたとしたら、東日本は疲弊の一途をたどっておりましたし、また最近の我が国の政治に顕著に現れている、加速
する国の疲弊と国益の損失に、国民が気づかないまま進んでいったかもしれません。
 私の先輩でもあり、姉の同級生であった市役所職員のある男性は、市役所内の防災センターのマイクを握り、津波が押し寄せ
てくるのがわかっているにもかかわらず、市役所の屋上に逃げず、最後まで市民に避難を呼びかけました。姉の同級生の
お母さんは、「うちの息子が最後までマイクを握り続け、市民に避難を呼びかけたお陰で、多くの命が救われたと思う。私は
息子を誇りに思う」と話されたそうです。
 宮城県南三陸町町役場の女性職員たちも同様の行動をとられたことは、多くのメディアでも取り上げられましたが、誰かのため
に勇敢な行動をされた方々が本当に多くいらっしゃいました。市役所職員・消防団・警察官・学校の先生など、住民の誘導に徹し、
命を捧げられた方々が多くおられます。また、命を繋いだ方々の多くは、寒くても、狭くても、お腹がすいても、悲しくても、痛くても、
他人を思いやり、不平不満を言わず、助け合い、各々が我慢して行動したそうです。
 そして、自衛隊の皆様の活躍には、被災地の人々は本当に感謝しております。地元小学校野球部のコーチをしている兄が
言っておりましたが、子供たちに将来何になりたいかと尋ねると多くの子供が「自衛隊」と答えるそうです。
 いざという時に、いかなる行動をとれるかが大切なことであり、多くの方々がその行動をしました。我が国の多くの国民が
心の根底に雄々しさがある、ということを今回学びました。
 この震災を経験して、日本がより良い方向に進んでゆくことを願い、また自らも微力ながら活動して参りたいと思います。

  復興にはまだまだ多くの時間がかかります。むしろまだ始まったばかりで、皆様にはお頼りすることばかりではありますが、
何卒今後とも東日本の被災された皆様を見守り下さいますようお願い申し上げます。
 皆様におかれましては、お体にご自愛戴き、更なるご活躍をお祈り申し上げます。
                                                                     敬具
 
【関連写真の紹介】

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区 15:25頃

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.11荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 3.17荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 8.4荒木家(月山神社研修道場)から見た福伏地区

 

 

 陸前高田市【被災前】 氷上山より南を望む

 4.24陸前高田市市街地 奥が氷上山 手前が高田松原

 陸前高田市駅前通り【被災前】

 3.28陸前高田市駅前通り 右端の建物は北日本銀行

 陸前高田駅前ロータリー【被災前】の石のモニュメント
(下と右下の写真と比較してください)

 3.30神社本庁田中総長が視察(陸前高田駅前通り)

 5.12陸前高田駅前ロータリー

 8.4陸前高田駅前ロータリー 瓦礫が撤去され、
石のモニュメントがはっきり現れた。 

 月山神社社務所の大広間【被災前】

 3.18月山神社社務所大広間 この頃約130人が避難生活

 4.8神道青年全国協議会による月山神社での炊出し

 4.17三遊亭栄楽さんの月山神社での落語公演

 今泉天満宮(荒木真幸宮司)と樹齢約800年の大杉【被災前】

 今泉天満宮と樹齢約800年の大杉【被災前】

 今泉天満宮の東側参道【被災前】

 今泉天満宮と樹齢約800年の大杉【被災前】

 3.18今泉天満宮完全流失の跡 大杉の葉はまだ緑色である

 5.12京都・平野神社の尾崎宮司らによる大杉の保護作業

 

 5月 今泉天満宮の大杉

 7.6(株)イケガミさん達による大杉の保護作業ボランティア

 

 8.3今泉天満宮の大杉 葉は茶色くなったが、一部新芽が出てきた

 8.4気仙川河口に残った希望の松 右はユースホステル

 

 

 3.18今泉天満宮より南側の今泉地区を望む 左は気仙川